娘へ

「目力」と言えば聞こえが良いが、ほんと「目」って本心を表す。初めてお逢いしても心の中を伝えてしまう。不思議なものだ。目の形上は笑っていても奥にあるものが笑っていないなんてこともしばしば。逆に目は怒ってるのに奥には優しさがあったり。心の中を「たった目」だけで表すことができる。言葉の壁なんてなんのその。「目」さえしっかり見つめていれば「何を言おうとせんか」が分ったりもする。しかもこれは人間同士だけの話しでもない。猫でも亀でも、ひょっとしたら魚類でさえ目を見れば何を訴えようとしてるのかがわかる。そのために「目」は二個あるのかもしれない。右脳と左脳からの情報が云々とか医学的な構造上のウンチクもあるのだろうが、そんなものさえ遠ざけるものが「目」にはあるように思う。テレビを観てるとよく観察できるが、芸能界の方でも悪そうな目をして笑ってる方もいれば、馬鹿なフリをして頭が良さそうな方もたくさんいます。いや、ひょっとして「演技」としてそういう目を作ってる方もいる。それでも奥にあるそれは嘘をつかない。目は「その人そのもの」なのかもしれない。だから「目で殺す」ということさえできるのかもしれない。その点、医療機関へ訪れる患者さんは体の不安に覆われてる。不安があるがために大抵の方は「目力が弱い」。これは当然のことだ。どこかに痛みや不安があるからこそ訪れる場所なのだから。逆に先生やスタッフは「目力」があったとしても、それを押さえ優しい目をしなくてはならない。もっと深く言えば「その不安そうな目を安心に変えさせらる目」でなければ医療従事者とはいえない。そのために一番必要なのかもしれないことは「己の心を磨く」ことではないのか?人としての優しさを磨く。これこそが今もっとも医療の世界で必要なことだと私は思う。純粋な人としての心。一番この世界で必要だと思う。「過去があるからこそ今そういう生き方をし、そういう目をしてる」。でもそれはこれからの生き方でドンドン変わってくる。だから日々優しさと思いやりをもって生きていこう!自分を磨くことによってそれが「目」に表れるようにしよう!英語や数学だけが勉強じゃあない!色んな本を読み、色んな人と出会い、本業であることを学ぶ。好きなことを極めていくうちにそれらのことも身につくかもしれない。最後に・・・たまには電話しろよ。友達は大切にしろよ。健康には気をつけろよ。困ったり悩んだときには独り悩まず相談してこいな。遠い四国の空から見守ってます。                                  父より今回は県外へ進学した娘への手紙として書かせていただきました。さあ新しい出発です!