これからの医学のために!

先ずは大阪方面の震災で被害にあわれた方々にお見舞い申し上げます。ここ高松でも震度3でした。阪神淡路大震災を思い出すような大きな地震でした。あの辛い想いが甦った方もいらっしゃると思います。一日も早く被害に遭われた方々が日常の生活に戻れますよう祈っております。

さて、当院の織田先生(当院へまだお越しでない方は男性の先生だと思ってる方がいらっしゃるようですが、色白の美人な女先生です 笑)も国家資格を持って早2ヶ月。他ごとを考える間もなく手技の勉強に励んでおります。仕事の合い間を拭うように私が指導するもんですから一気に詰め込んでおります(笑)

何の世界でも同じですが、いくら頭で分っていてもそれを体で表現できるとは限りません。泳げない人がいくら本で水泳を勉強し知識を詰め込んだとしても、泳げるようになるかどうかはある意味別個のもの。実際に水の中でもがいて苦しむ方が泳げるようになったりします。

ただし、医学の世界では「何のために泳ぐのか?」が大事です。「なぜここをこうするのか?」だったり「これはこうなってるからこうするんだ!」など何処に対し何のためにアプローチするのか?の自分なりの理論を持つ必要性があります。その理論は自分で作っていくものですが、一からは作れません。なぜ一から作れないかというと物事には「基本」ってものがあります。その基本とは過去の先代たちが実際に臨床の現場で試してみて「良かったものと悪かったもの」を既に選別し残してくれてるものだからです。

例えばウナギ屋さんで言えば「串の刺し方」だったり「炭火の火加減」だったり。先代の方々達が失敗や成功を繰り返してきた結果、「こうやれば美味しい」という最短への道しるべを残してくれてます。その道しるべを利用しない手はありません。それを利用しないとなると、一から自分がウナギに串をどうやって刺すのか?から試さなくてはなりません。もちろん、そうやりながら一から何かを作ることも大切です。ですが一から試した結果が、先代方がやってきた事と同じだった時には「その間の時間が無駄」になる可能性もあります。無駄なことも私は必要だとも思います。しかしあえて同じ結果に辿り着くのにわざわざ遠回りをする必要性はないでしょう。その時間があるのであれば、少しでも新しい事に挑戦し前に進んだほうが効率がいいのではないでしょうか。かと言って、効率化だけを優先し、この基本を身につけぬまま次へ進むとドンドン「どこに向かっているのか?」が見失われていきます。その結果生まれてくるのが「自己流」ってやつです。基本をきっちり身につけての自己流ならそれは「個性」として受け入れられるでしょう。でも基本が分らないから次へ進み、やがて基本なんてどうでもよくなり「美味しければなんでもいいでしょう?」的な「自己流」に進めば進むほど「もう基本へは戻れない」ことになってしまいます。ここまで行くと「何が何でも自己流を通す」しかありません。自己流の怖いところは「それが正しいのか?どうかさえ誰も判定してくれない」ところにあります。所謂「自己満足」の世界です。そして「自己流には限界がある」のです。そこから抜け出したくても基本形がないので「戻る故郷」がないようなものです。故郷がないといういうことはどんなに迷っても正しいかどうか分らない道を進むことになります。当たればラッキー外ればアンラッキー。確率の世界なんてありえないですよね。

それを防ぐためにはどうすればいいのか?正しい方向に進んでいる「師を見つける」ことです。その師が何を考えどういう方向へと向かっている人なのか?これを見極めれないと「師と共に同じ方向へと歩んでいく」ことになります。私の師たちに共通することは一つ。「看板が小さい」ことです。どこに施術所があるのか?さえわからないような師もおります。看板をデカくすると患者さんが押し寄せてきて入りきれないことになります。ですから看板はお義理で出してるような先生方ばかりです。その裏には、「看板なんていらない!」という隠れた努力があるからなのです。これは讃岐うどん店でも同じですから参考にしてください(笑)

織田先生も、まさかこんなに基本が難しいとは思っていなかったと思います。それでもこの基本を身につけ必ずや日本を代表するような先生になって欲しい。これからどんどん臨床で実際に患者さんを触り学んだことを発揮できると思います。まだ少し先ですが親しい患者さんには私から声をかけさせていただき織田先生に施術をしていただくことがあるかと思います。是非これからの若い先生を育てるためにご協力してください。そして温かい目で将来のある若い先生を見守ってやってくださいませ。よろしくお願いいたします。