朝晩寒くなりましたね~。夏が異常に暑かっただけにこの気温の落差になかなか慣れません。そして秋に桜が咲き、台風による「塩害」などという聞きなれないものの影響で野菜も高騰。「普通」という言葉が有難いなと思う今日この頃です。
当たり前だった日常が当たり前で無くなったときに人は初めて気付くもんです。今までどこも痛みなど無かった。ある日突然腰を痛める。その時初めて痛みが無い生活の有り難味を知る。
人が健康でいられること。それは何ものにも代えられない有難いことなんです。何故なら健康だからこそ仕事ができるし動くことができる。
人ってそれぞれが与えられた使命があると思うんです。本人は気付かないかもしれませんが必ず誰かのため、何かのために生きている。それが社会や世間様に貢献できればできるほど人って幸せを感じるものです。
ところが自分が思ってるほど上手く事が運ばない時もあります。そこで諦めてしまうのか?遣りぬくか?は人それぞれ。我慢すればいい!ってもんではありません。もし道が違うと思うのであれば、どんどん自分が目指す道を変えればいい。
でも、道を変えるなら一つ条件があると思うんです。それは「必ずその事を遣れるようにしてからやめる」事。「私にはこの仕事がむいてませんので辞めます」と例えば部下が上司に言ったとします。その時私が上司ならこう言います。「あなたはこの仕事を出来るようになりましたか?」って。「この仕事がむいてない」と言うからには「この仕事を完璧にこなせるけど自分の性格なり考え方や体力的に無理である」と判断したということですよね?って。
やれもしない、できもしないのに「自分にはあってない」なんて単なる自分への甘えと言い訳でしかない。そんな考えで転々としたところで何一つものにすることはできない。確かにやれるようになるまでは辛いし難しい。でも一度それができるようになると、そこに喜びが生まれる。ルービックキューブだって全面そろえるのは難しい。5面まで揃えたのに最後の面をそろえようとすると今までそろえてきた面をことごとく壊す必要がある(笑)。でも、せっかくそろえた5面を壊してでも全面そろえるのか?それとも5面そろったんだからそのままにして諦めるか?は「目標をやりとげる」意志があるかどうか?だ。ジタバタもがいてるうちにそろうことだってあるんだよ、世の中って。でもその「ジタバタ」をやめた時にやってた物事は終わる。
最後に聞いたことがある方もいらっしゃると思いますが3匹のカエルのお話を。
生クリームの器の中に3匹のカエルが転落しました。
1匹目は何もせずじっとしてたのでそのまま沈んでしまいました。
2匹目は手足をばたつかせてもがいてましたが途中で諦めて沈んでしまいました。
3匹目は絶対に諦めないぞ!と必死にもがき続けました。すると生クリームはもがけばもがくほど粘り気が出てき、ついにはバターになりカエルはバターを踏み台にして器から飛び出しましたとさ。
ジタバタしてるうちに何かが変わってくるかもしれません。でも、ジタバタをやめた者は沈むしかないのですから。